季節を選べたら

 

行きつけの居酒屋がある。そこへ行くと自分はメニューを開くことなく、お酒とオススメを頼む。今日出てきた刺身の皿に乗っていた鮑と鯛と鰹と鰆は全部で1800円だった。鮑(さま)と気付かず、鮑(さま)の肝に対して、「これ食べれるんですよね?」って言ったら、普段は全然怒らないマスター(さま)がキレた。滑舌が悪いから何を言ってるか分かりにくいマスターと、通訳のおばあちゃんのお店。儲けは度外視と、聖人君主のような発言をするマスターは79歳だそうで、地元を離れた自分にとっては、安心できるおじいちゃんとおばあちゃんだと思って過ごしている。クソ安い会計を済ませ、また来るわ〜!おやすみ〜!って笑顔で帰宅したら、親から連絡。地元のおじいちゃんが倒れて、しかもそれは一ヶ月前のことだと聞かされた。怒りはあったが、冷静になりたくてまず長男と電話。話は当然この件についてで、やはり兄においても知らされていたかったようで、狼狽気味だった。なるべく冷静で居たいと思うが、兄に対して愚痴がこぼれたりする。「なんで一ヶ月も空けるかなぁ?」他にもこぼしたが、その全ては兄に責任は一切無い話。親に対して、兄に対して無茶を言った時、三男の自分が更に子どもへ戻った気がした。余計そう思ったのは、弱くも冷静に意見を言う兄がいたからだった。自分はその意見には全面的に賛成だった。

 

 

芸能人の死亡ニュースでも思う。

大体死んだ2.3日後に話題されても困る。君が死んだ時、俺はその時何をしてた?それじゃ遅いんだと、いつも思う。何もしてあげられなかったし、事後報告だと空虚のまま他人事で消化されるし、そもそもおじいちゃんはまだ死んでないから話が飛躍してるんだけど、ここまで考えて一ヶ月連絡しなかった両親の心も分かった(ような気がした)。

 

 

死を思うことは常にある。回数や時間は関係なく、試験でも商談でも無い。災害の様に覆い被さってくるけど、誰にでも平等に優しいのが死だと思う。本人にすら優しいと思うな、俺は。

 

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トイレでクソしてる時に携帯を開いて祖父の事を知った。その時頭の中でストレイテナー のROCK STEADYが流れました。おじいちゃんまだおるしな。その季節は自分で選ぶハズ。俺はそれをずっと待ってる。