死にませんが?

 

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プランターで育てたトマトが赤く染まった。

朝出掛ける前に眺め、夜帰ってきてからは匂いを嗅ぐ。トマトの幹からはたしかにトマトの匂いがする。この匂いがとても好きだ。

実はつき始めたが、なかなか成長している様子もなく、下の葉は枯れ始め「いつになったら収穫できるかな、もしかしてこのまま赤くならないかも」なんて心配をし始めた。

 

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風が強い日だった。

朝いつものように野菜の状態を見に外へ出て、水をやり、そのまま家に戻った。昼を過ぎた頃出掛けるために外へ出た時に心が沸騰するのを感じた。

菜園の前に置かれていたマウンテンバイクが風に煽られそのまま野菜を下敷きに倒れていたのを発見した。すぐさま駆け寄り自転車を持ち上げ状態を確認したが、結果は厳しかった。

主幹の真ん中あたりから折れてしまったシシトウには間もなく収穫できる実がいくつもついていた。

瞬間に絶望した。たちまち衝動に変わり、折れてしまったシシトウだけでなく、被害の無かった野菜までも蹴り飛ばしたくなる。

どうにか抑えた衝動は無力感に到達した。

なぜこうなったのか、当然に考えた(考えながら野菜を触っていた)。

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これはHUNTER×HUNTERの一コマで、こんな気持ちだった。

 

対処はできたと思うが、出来なかったのだから仕方ない。そこに自転車を置いたのは自分ではないにしろ、自分にもこの状況の回避は可能だった。負の感情の堂々巡りを経て、とにかくこれは報告しなければいけないと思い、彼女へ報告した。報告のタイミングや方法についてはもっと吟味しても良かったのだろうが、精一杯だった。

そしてその時、この状況を口に出して恐くなった。

 

「風で倒れた自転車の下敷きになって野菜が死んじゃった」

 

事実を客観的に書いたつもりだったが、文字にしてみて恐くなった。たしかにシシトウは死んだ。今朝はなんともなかった生き物が、午後には死んでいる。すごく強烈な世界で暮らしているなと思った。生きるということは別れるということ。さっき感じた一連の怒りはこの現実に轢かれ、流され、そして奪われた。僕は「別離」と書かれた10トンのエアハンマーで頭を叩かれたような鈍い痛みを感じた。

 

全ての人がこの気持ちを味わう可能性がある、ということも想像した。想像して、想像できないことも知った。頭の中には、バベルの塔のようなものが見えたが、やはり天辺は見えない。

 

落ち着いてから、折れたシシトウを菜園から退けた。残った部分についてはまだ実がなる可能性がある為、そのまま植えてある。

 

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トマトはこの話の3日後に完全に赤く染まり、調べた結果完熟しているだろうとの結論に至ったので、もぎ取り冷やして生のまま食べた。味については端的に、甘く酸味も程良かった。そして親バカなのだろうが、これまでに食べたトマトの中で一番美味かった。

 

 

 

一度も怒りがなかったとは言わないけれど、許すというの表現も違う気がする(有り得ないけれど、非の比率が10:0じゃない限り許すという言葉には、登場の余地も無いと思う)。

別に、怒ってはないのだ。そして話したいこともそんなんじゃない。