キングクルール

8/8

ゆっくり料理をした。
舌の上の広がる味を想像しながら、作りたいものを作りたいように、味を足したりやり直したりしてソースを作って、ハンバーグに掛けて食べた。挽肉は腐りかけだし、豆腐を足した。そこまで美味しいハンバーグにはならなかった。分かったことはソース作りは難しく、単体で音作りをする軽音楽器に似ているということ。それでもワサビを入れたりカルダモンを入れたり、その都度の変化は勉強になった。



海辺のカフカを読み終えた。村上春樹の小説ってほとんど読んだことがなくて、これからも読んでみたくなった。読後感は、初めてGRAPEVINEを聴いた時に近い気がする。

口内炎の城ラピュタ

8/5

昼は高槻へ志村貴子の原画展へ、
夜はFireloopへ行った。

高槻への移動中にICOCAを落としてしまって悲しくなった。展示されてる原画を見て、この人は自分の描くキャラクターが好きなんだろうなと感じた。髪の毛と瞳が際立っていて、ずっと見ていられる。


帰ってきてからサザエを食べた。家の近くの卸売店で安くなっていたので買ったやつだ。潮の匂いが嬉しいし、ツボの中の出汁も美味しいけれど、サザエは苦くて美味しさはあまり分からない。


夜はFireloopへ。Lambdaの企画に遊びに行った。どんな顔して行けばいいのかちょっとだけ悩んでいたけれど、いざフロアに入るとバンドをやってた頃の仲間に、「やっぱり来ると思った」って言われた。言ってもらえて本当に嬉しかった。
フロアは3ピースLambdaへの期待感で溢れていたし、自分もその空気感に貢献していたと思う。Emu sickSの悪いドラマーにそそのかされてめちゃくちゃ前で見ることになったのが妙に恥ずかしくて、ライブ中に一人で勝手に何度も笑ってしまった。顔なじみのバンドマンも、お客さんも、きっと思い思いに楽しんでいたんだと思う、その証拠にフロアからは何度か笑いが起こっていた。ベースの音色がかっこよくて、普通に弾けてるのがカッコよくて、それがちょっと面白かったのかもしれない。

何はともあれ、
Lambdaってすごくカッコいいバンドやね。知らんかった。




8/6

本を読んだ。
小説の中に井上陽水の夢の中への一節が出てきた。
こういう偶然の積み重ねしか、人生にはないよな。

続 グリーフワーク

8/3

とても暑い日だった。バイトをこなして夜は本を読んだ。昼の休憩時間にも読んだから上巻が終わった。パスタの素が余っていたからお米と混ぜて炊き込みご飯にして、半分を一日掛けて食べて、残りは冷凍した。炊き込みご飯と共に自分で漬けたきゅうりの浅漬けも食べた。


最近夜は本を読むのが楽しい。決まった限られた時間を使って、余った瓶のお酒をグラスに入れて間接照明で点けて、Grandaddyの2ndを流しながら最後の曲のシークレットトラック(2秒くらいで終わる)が流れ終わるまで本を読む。東京に行った時に見つけて、買ったCDだけどめっちゃ良くて、2枚目でこんなの作ってたら、そりゃ寿命短いだろうな(去年復活したけど)ってバイトしながら思った。


最近はほとんど誰にも、伝えたいことがある人ほとんどに自分の事が伝わらなくて落胆している。きっとそうい周期なんだ、落胆するけど降伏する気はないし…。
こんな感じでも占いとかおみくじは気にするほうで、それはこれまでの人生で結構当たっているからだ。全部の占いを信じるわけじゃないけれど、とりわけおみくじって当たる気がするな〜。今年は初めて凶引いたし、厄年は散々だったし…。でも安心感も同時にあって、「自分の人生ちゃんと運命線に乗っかって進んでるやん、おもしろ」みたいな感覚。


残りの寿命が決まってるとして、そしたら昨日のことも明日のことも今日のことも、すべてが導火線になり得て、泣きたくなる。頭で理解出来ても心で理解出来ないこと、そういうことは御多分に洩れず自分にもある。淡白な人間って思われるのは全然気に食わない(自分のせいやけど)。



俺のグリーフワークはずっと続く。
みんなもそうだと思う。

グリーフワーク

8/2

是枝裕和監督の「海よりもまだ深く」を見た。
すごく良い映画だった。テレサテンの別れの予感が流れるハイライトからエンドロールのハナレグミの深呼吸がきこえるまで、登場人物の心の動きに見覚えがあり、経験があるような気がした。それぞれが自分の未来を想う中で、たまに相手を思いやっては、自分の心の容量が足りないことにすぐ気付いて、口に出すのを思い留まる。それでもたまには口から飛び出る本音トーク…。

見覚えがある。だから心にとても響いた。
ホントに良い映画だった。




決別や別れにおいてそれが必要だと思うなら、必要なことをすればいい。あなたの心が軽くなって、前に進めることを願ってます。

グースカ

8/1


東京での疲れが溜まっていたらしく、めっちゃ寝た。昼前まで眠って美味しんぼを見てから洗濯物を畳んでコーヒーを飲みそして本を読んだ。たくさん読んだ気がする。


読みながら、自分がいつから生活に支配されてるのかを反射的に考えてしまった。ただ音楽を聴き、ただ楽器を弾き、ただ活字を追い、ただ料理をする、自分にとっての趣味や生き甲斐を生活に付随することなく行なうことが出来ていないような気がした。いつからなのかはもうどうでもよくて、自分が生活の下敷きになっているような気がしてそれはなんかシャクだった。だからただ本を読み、自分で淹れたコーヒーをただ味わい、ただ活字を追ってみた。そこで気付いたのが、自分にとっては生活を跳ね除けるには未来の自分の為に行動しないことが必要だということだった。それはとても恐ろしく、未来の自分を考えずに生きることは今の自分には出来ない。今だけを手放しで喜び、明日に一分の不安もなくただ目の前の酒を味わう。やはり自分には出来ないだろう。
今は想像でしか手に入らない生活を下敷きにする生活は、今日自分が過ごしたとても有意義な読書の時間とは程遠いクソみたいな時間な気がする。金と人格は反比例であってほしい。



話は変わって、
誰かに向けたり、誰かから向けられる好意はゲームのHPのように加減がある、ということを恥ずかしながら知らなかった(意識したことがなかった)。マックスの値が増えることはあっても、基本的には減るほうが圧倒的に多い。加減というのはそのほとんどがコミュニケーションを通じて精算されるから、なんだかお金のようでもある。


読んでる本の登場人物は15歳だが既にこの理を意識できており、自分が情けなくなった。暮らしを送っていると「なんだか自分だけが擦り減ってる気がする」と思う人ばかりだと思うが、自分のその一人だ。ムカつくことは多い。





大阪は有名な花火大会が今日あった。
恐らく、ただ花火を見るということも人生で一度もしたことがない。自分にとって花火は悔しさの象徴で、人混みの中で見たり、家の中で見たり、或いは見れなかったり。憧れの中の花火は強烈で、期待に満ちていたりするけれど、実際は問題を何も解決してくれない。そんなことを思った。





夜は友達とスーファミをして過ごした。

海辺のフカフカ

7/29

一夜明けて大阪からは台風が過ぎ去っていった。
色々あって熱中症を患っていたがそれも治り、朝から東京へ。

東京の夏は大阪よりも涼しくて、それは来る度に羨ましく思う。宅配で大阪から送ったチーズケーキを受け取る時間帯になってもなかなかインターホンは鳴らず「もしや住所を間違えた…?」とか考えて不安になっていた。
そのまま下北沢Lagunaへ向かい、色々準備をした。

ライブイベントはとても良かった。演者全員本当にめちゃくちゃ歌が上手かった。the cold tommyの研井さんがGRAPEVINEのカバーをやっていた。

イベントに呼んでくれたちりこさんとは出会って120秒で出店了承みたいな感じで、どの様な人なのか当日まではまだよく知らなかったんだけど、イベントに携わってライブを観ることで、ちりこさんがどんな考えを持っているのかどうして僕を呼んでくれたのか、それがよく分かった。
改めてとても良いイベントでした。呼んでもらえて光栄だった。




7/30

夜までは特にやりたいことも全くなく、新宿をぶらついたりした。grandaddyの2nd albumを聴いたことがなかったので中古で買った。夜にはArtTheaterGuildのスタジオに入った。長年使ってるプリアンプもベースも、未だに新しい発見がある。なにか目標を作って、そこに到達する為に練習を繰り返すということはとてもやり甲斐があることだなと、再確認した。終わってからミーティングの最中にみんなにチーズケーキを渡したら喜んでくれて安心した。


夜の帰り道は涼しくて、夏は台風が来る度に涼しくなっていくことを思い出した。まもなく次の季節がきて一周回る頃にはきっとこの事も忘れていると思う。





そして今、7/31の昼のバスで大阪へ戻っている。
お土産として草津赤福を買った。
今日はめちゃくちゃお酒が飲みたい気分やな。