20200927

激務な気がする

大した企業にいるわけでもないが、ふと思う。

 

 

 

岡山県に来てから営業職で働き出した。初めての就職である。我ながら良い職場に出会えたらなとは思う。レディオヘッドのthe bendsが、people in the boxのfamily recordが、阿部芙蓉美のブルーズが流れる室内で働いている。全て好きなアルバムであるが、コレが理由でここで働いたわけではない。

 

 

 

バンドを辞めてから職を探してみた。探し方も分からずリクルート系の窓口へ登録し、自分の全てを話した。功を奏したのか、担当のお姉さんは「あなたならすぐにでも就職先は見つかる」と言う。就職先という言葉の前に(条件を選ばなければ)という言葉か見え隠れした気もしたが、ここでそう思っても仕方がないので考えることをやめた。

 

インターネット越しの液晶に写る未来を、他人事のように見た気がする(ちなみに広島でも面接は受けた)。未来を選ぶというのは素晴らしい行ないのように聞こえるじゃないか。俺はそれに命を賭けたのか、直感に任せたのか、上から上位3つを選んだのか、もう覚えていないが、たどり着いたのが今の職場のホームページだった。そこにはバンドのバの字も、音楽のおの字も無い。あるのは地域貢献や献身性を訴える企業理念(後に気づいたが、コレは世の会社全てが掲げているもので、差異はあれど加点法や減点法でも測れないくらいの誤差だった)と、社長の顔写真。「なんか良いな」というくらいの裏付けを直感と呼び、その微弱な電波をひとまずナシとはせず、立地やホームページの佇まい、あとは記載の年収や休暇システムをチェックした。

 

ただの労働、という名の世界な気が(当時は)した。

年収や休暇の数で選んでいるのも嫌だと思ったし、働くことも嫌だなと思った。でも、働くならばここかもしれないと思い、気がつけば面接の扉をノックしていた。

 

で、そこでの採用が決まったワケ。楽々通ったというわけではなく、自分とは別にもう一人候補が居たみたい(面接の時に教えてくれた)。その事実を聞きリクルートの担当は「御礼の手紙を書け」というので、岡山からの帰りに電車(お金が無いので電車で帰った!)で書いた。どうやらコレが効いたようで、バンドでぷらぷらしてた割にはしっかりした奴というような印象を植え付け、俺の就職活動は一ヶ月で終わった。

 

で、冒頭に戻る。

自分の趣味嗜好に近い人と関わる時間を再び選ぶことができた自分の人生が誇らしくもある。

裏をいえば結局世の中上手くできており、同じ偏差値の人は同じ価値観で生きているのかもしれない。

 

でも、なんか激務であるような気がした。

 

 

コレはもう仕方がなく、別にブラックではないし、良い職場なんだけどたまに訪れる繁忙期のような物に辟易とし、寿命をすり減らしている(気がする)。

 

仕事というルーティンに生きる友人や知人には、数年前は違う立場で接していた。その頃の自分に何か言えるとすれば「お前は1ミリもその人達のことを理解してはいないゾ」ということ。

 

そして、その立場になり発見があった。

人は断続的にストレスを浴びても容易にオアシスを精製できるということ。ランチのメニューや、休憩時間のタバコ、毎日更新される無料マンガetc…。

すり減っていく精神は10ccや20ccの水で補える、もしくは補えたつもりでやり過ごせる。

なんか面白いなと思いました。もうギブ辞めたいと思っても意外にまだ頑張れたりするし、行けばなんとかなるみたいな感覚もあるし、

 

 

仕事をしていると俺は何故この感覚をバンドへ持ち込めなかったのかと悔いる事が多い。

仕事なんだよな。

バンドはしていないけど、今の方が上手く弾ける気がするのはプレイヤーとして順調に落ちぶれている証拠なんだろうか。試してみたいなと思う時があります。

 

 

 

 

最近は寝る前に藤井風の帰ろうを聴きます。

1番と2番の展開、音数と歌の符割の違いにワクワクします。