HELLO,SADNESSのライブを見た

なんて良い曲なんや。

HELLO,SADNESSのフロアライトをライブで聴いてそう思った。

youtu.be


2015年に活動開始したHELLO,SADNESSは前身バンドThe calendar of happy daysを経て今に至る。

ギターボーカル、ベースコーラス、ドラムコーラスの3ピース編成。ギターの音色は乾いていて、ディレイ・コーラス・ディストーション・ファズの使い方がとにかくオルタナティブ。ベースはギャリギャリに歪んでて、絶対オルタナティブ。ドラムはオルタナティブかどうか分からんけど、フロント二人に負けないくらい主張しているけど、ただ主張するだけでなく裏づけされた技術がある。



HELLO,SADNESSとThe calendar of happy daysは絶対的な違いを持ちつつも、今でもライブではカレンダー時代の曲を演奏している。


楽曲を聴き比べれば納得してもらえると思うが、フェイバリットであるdeath cab for cutieがよく引き合いに出されるくらい、影響を感じる。が、バンドの持つ一番の良さはテラマエさんの歌声だと思う。テラマエさんが作る曲は名曲の打率は高く、それを放つ声が楽曲とめちゃくちゃ相性が良い。孤独と憂いを孕むその声質は、カレンダー時代の激しい曲を容赦なく攻撃的に尖らせ、本人の怒りや人間性を写し出す。対してHELLO,SADNESSの楽曲では、優しさと明るさを渇望するイノセントやジュブナイル、それに近いものに聴こえる。陰から陰を訴える方法を(陰にいるけれど)陽から陽へ訴える方法へシフトし、それを狙ってやってるのか知らないけれど、だからこそ曲が前向きになるのかと驚く。不良がやさしさであるように、光が光なんじゃなくて、光を追い求める姿こそが光だと思い知らされる。


この変化は、リスナーにサウンドスケープ上で余白を与えることにならないだろうか。
ハロサドの楽曲は3人で鳴らすには勿体無く、少なくとも後2つ楽器を足して欲しいと思う時が多々ある。
最小限だから、最小限で出来る手段しか知らなかったバンドが、
他の可能性も見つけた上で最小限という形を選んだ。
これこそがカレンダーとハロサドの最大の違いだと思う。
そして今のハロサドに感じる余白は、かつてレミオロメンに感じたものに近いと僕は思います。


–−この前のライブを見ながらそんなことを思った。
今のHELLO,SADNESSは陰と陽を、これまでよりも無意識に繰り出せるようになっていた。
が、ライブ後にテラマエさんに聞いたら「今曲のストックがたくさんあるから、早く新曲を演奏したい」と言っていたので、そのうちライブでカレンダー時代の曲は聞けなくなるかもしれない。
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変化は全て正解かどうかは、短すぎる人生において語ることはもう今の時代じゃ出来ないけれど、リスナーとして「あーそうじゃないねんな…」と新作のCDを聴いて(勝手に)落胆することはある。だけど、この3人はそれを正解と呼んでくれる気がするし、何よりこれは特別好きだからこそのエゴってもんだし、醍醐味でもある。