映画のような

reGretGirlの「おわりではじまり」を聴いた。

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どこかで見たタイトルだと思ったら、reGretGirlがまだ無所属の頃にリリースした作品のタイトルと同じだと気付き、同時にこれが最後だろうと直感した。ストーカーのような執念で、元カノについて歌い続けているreGretGirlだけど、ついにこの「おわりではじまり」によって主人公は元カノとの苦い想い出を乗り越える。そんな気がした。そしてこの直感は徐々に確信に変わって行く。

 先行リリースされた「12月29日」は誕生日に別れを切り出された主人公(というか平部)の心境を歌ったものだが、アレンジや音像には「ホワイトアウト」の頃のような現実への抵抗は無く、終わりを受け入れたようにどこか明るい。まだ発表はされていないが、アルバムに収録される「白昼夢から覚めて」の白昼夢とは「デイドリーム」のことだろうし、「ブロッサム」は、それこそかつての作品に収録されていたトラックで、桜の季節の持つ出会いと別れの側面がエンド感へ拍車を掛ける。

そしてラストソングの「おわりではじまり」へ向かう。
「おわりではじまり」のビデオを見たときに、これまでの作品とは違い、漫画の最終話のような描き方がされていることに気付いた。reGretGirlのビデオはこれまでずっとTHINGS.が撮り続けているハズだが、同じ監督が撮り続けて来たからこその演出だろう。演者の顔が映らないカメラワークや風景のみを写すカット、演奏の拍や小節と重ならない展開の変わり目が、これまでの物語の主人公は一体、元カレか元カノかリスナーだったのか、曖昧に融解させる。歌詞についても、あとがきのようなソラニンの新装版のようなタッチで書かれている。
後悔を乗り越え、かつて「黒鳥山公園」で”もうマ行を押すのが怖くなった”男はついに元の呼び名へと帰ってくるわけだが、最後の一節、決別につきまとうボーカルの"でもまた今日から新しいふたりで始まったりしないかな"という未練(これこそリグレットガール!)と、それに合わせて繰り返されるベースリフが二人の顛末がハッピーエンドでは無いことを忘れさせず、この男は再び「ジエンド」へ戻り、「ホワイトアウト」や「デイドリーム」のような日々を繰り返す。

Stereo Fabrication of Youth「Lifedoor」という名盤があるが、ステファブが1作品でやったことをreGretGirlは3作品(4作品)かけて終わらせた。そういう気がする。


「soon」もだけど、その向こうにある作品がめちゃくちゃ楽しみです。