1/14 限界

悪童日記という小説を読んだときにこんなことに気づいた。対象を批評したり、読後感を言語化しようとする時、自分の知っている言葉と知識を越える表現ができへん。漫画で例えるならコレ、バンドのアルバムで例えるならコレ、みたいな、ついでにその辺のアレも見せとこかっていう、陳腐でエゴを含んだマウント(最低)野郎になってまうし、やっぱり自分を越えれへん。だいぶキツイ。


それでもこの本の、具体的にどこがどう面白かったか言いたいんやけど、一個、ゾクゾクしたシーンがあって。
ルールが語られる場面なんやけど、日記を盗み見る自分(僕のこと)が、まるで屋根裏にいる二人に覗かれているような、本の中の緊張感を自分も疑似体験できる。こういう感覚が1980年代のカルチャーに既にあるんやなっていう、僕にとってはとても価値のある発見です。



「この本オススメやけど、三部作やから気をつけてくれ。旅先の本屋の場所は把握しといたほうが良いと思うよ。一部読み終えた後にすぐに続きが読みたくなる」って悪童日記を貸してくれた友人に言われたけれど、今のところ友人の言う通りに事が進んでいる。